宇宙と気候変動研究最前線

衛星重力ミッションGRACE/GRACE-FOによる気候変動研究:データセットの特徴と解析実践

Tags: GRACE, GRACE-FO, 重力変動, 気候変動, 衛星データ解析, 地球水循環, 氷床融解

はじめに

宇宙からの地球観測は、気候システムを理解し、その変動を監視する上で不可欠なツールです。多くの衛星ミッションが地表面温度、植生、海面水位、大気組成などを観測していますが、地球全体の質量分布とその時間変動を直接的に観測できるのは、衛星重力ミッション特有の機能です。地球の質量分布の変化は、氷床や氷河の融解、陸域水貯水量の変動、海洋循環の変化など、気候変動の様々な側面と密接に関連しています。

GRACE(Gravity Recovery and Climate Experiment)およびその後継ミッションであるGRACE-FO(GRACE Follow-On)は、この地球の質量変動に伴う重力場変動を高精度で観測することを目的としたミッションです。これらのミッションによって得られたデータは、気候変動研究において陸域水循環、氷雪圏、海洋など、多岐にわたる分野で重要な貢献をしています。本記事では、GRACE/GRACE-FOデータを用いた気候変動研究に焦点を当て、データセットの特徴、主な応用事例、そしてデータ解析における実践的なポイントについて解説します。

GRACE/GRACE-FOデータセットの特徴

GRACEミッションは2002年から2017年まで、GRACE-FOミッションは2018年から現在まで運用されています。これらのミッションは、ほぼ同じ軌道を周回する2機の衛星間でマイクロ波を用いて精密に距離を測ることで、地球の重力場変動を検出します。地球の質量分布に変化があると、重力場がわずかに変化し、それに伴って2機の衛星間の距離も微小に変化します。この距離変化を解析することで、月ごとの地球の重力場変動マップが生成されます。

GRACE/GRACE-FOデータから得られる主なプロダクトは、地球の重力ポテンシャルを表現する球関数(Spherical Harmonics)の係数です。これらは時間によって変動する重力場を表しており、研究目的によっては、これらの球関数係数から地表における質量変動(Equivalent Water Height: EWH)のグリッドデータとして変換されたプロダクトが利用されます。

主なデータ配布元としては、以下の機関があります。

これらの機関から提供されるデータには、それぞれの処理手法による違いが存在するため、研究目的に応じて適切なデータセットを選択することが重要です。また、球関数係数データは一般的に次数・階数が高く(例: 最大96次96階)、そのままでは短波長ノイズを含むため、後述するフィルター処理が必要です。

気候変動研究への主な応用事例

GRACE/GRACE-FOデータによって観測される地球の質量変動は、気候変動によって引き起こされる様々な物理現象と直接的に関連しています。

1. 陸域水貯水量変動 (Terrestrial Water Storage Change: TWSC)

河川、湖沼、土壌水分、地下水、積雪・氷河などを合わせた陸上の全水量の変化を捉えることができます。乾燥地域での地下水減少、湿潤地域での洪水イベント、積雪量の年々変動などを広域的にモニタリングすることが可能です。これにより、気候変動による水資源への影響評価や、干ばつ・洪水予測モデルの検証・改善に役立てられています。

2. 氷床・氷河の質量損失

グリーンランドや南極の氷床、世界各地の山岳氷河の質量変化は、重力変動として観測されます。氷床・氷河の融解は海面上昇の主要因の一つであり、その質量損失速度を高精度で定量化することは、将来の海面上昇予測にとって極めて重要です。

3. 海洋質量変動と海面水位変動

海洋の質量変化も重力変動として観測されます。これは熱膨張以外の要因による海面水位変動、すなわち質量変化に伴う海面水位上昇・下降を理解する上で重要です。GRACE/GRACE-FOデータは、アルティメトリ衛星データ(海面高度)と組み合わせて使用することで、海面水位変動における熱膨張と質量変化の寄与を分離する研究にも利用されます。

GRACE/GRACE-FOデータ解析の実践

GRACE/GRACE-FOデータの解析には、いくつかの標準的な前処理と解析手法があります。球関数係数データを用いる場合、一般的な解析ステップは以下のようになります。

  1. データの取得: PO.DAACなどのデータ配布元から、必要な期間の球関数係数データ(Level-2データ)を取得します。
  2. 前処理: 取得したデータに対して、ノイズ除去や様々な補正処理を行います。

    • C20項の置き換え: 衛星の姿勢制御や軌道の不安定性からくるノイズを含むため、衛星レーザー測距(SLR)データから得られたより信頼性の高いC20項に置き換えることが推奨されます。
    • 階差補正 (Destriping Filter): 球関数展開の際に生じる南北方向のストライプノイズを除去するために適用します。様々な手法(例: Swenson & Wahr (2002)の手法)があります。
    • 空間平滑化 (Spatial Smoothing): 短波長のノイズを抑制するために、ガウスフィルターなどの空間フィルターを適用します。フィルターの半径は研究目的やノイズレベルに応じて選択されますが、一般的に300km以上の半径が用いられます。フィルター半径が大きいほどノイズは除去されますが、真の信号の振幅も減少(減衰)するため、フィルター応答による補正(Gain Factor補正)が必要となる場合があります。
    • GIA (Glacial Isostatic Adjustment) モデル補正: 最終氷期以降の氷床の融解に伴う地球内部の粘弾性応答による地殻変動は、長期的な重力場変化を引き起こします。これは現在の質量変動とは異なる現象であるため、気候変動に伴う質量変動を抽出するためには、信頼できるGIAモデルを用いてこの影響を除去する必要があります。複数のGIAモデルが存在し、選択によって結果が影響を受ける可能性があることに留意が必要です。
    • 大気・海洋モデルによる高周波成分の除去: 非潮汐性の短期間の大気圧・海洋変動による重力変化は、運用機関によって提供されるモデルデータ(例: AOD1Bプロダクト)を用いて除去されていることが一般的ですが、必要に応じて確認・適用します。
  3. グリッドへの変換: 前処理済みの球関数係数から、地表の質量変動(EWH)のグリッドデータに変換します。

  4. 解析:
    • 時系列解析: 特定の地域(流域、氷床など)の平均的な質量変動の時系列を抽出し、傾向分析や季節変動分析を行います。
    • 空間パターン分析: マップ上で質量変動の空間分布を分析し、変動のホットスポットなどを特定します。
    • 他のデータとの統合: 降水量、蒸発散量、河川流量、積雪深などの他の観測データやモデル出力と比較・統合することで、質量変動の原因や影響を詳細に分析します。

実践的なツールとライブラリ

GRACE/GRACE-FOデータの解析には、特化したソフトウェアやライブラリが存在します。Python環境では、GRACE/GRACE-FOデータの前処理やグリッド変換を行うためのライブラリが開発されています。例えば、PyGracegrakipy のようなコミュニティベースのライブラリが利用可能です。これらのライブラリは、データの読み込み、様々なフィルター処理、グリッド変換などの機能を提供しています。

# 例:GRACE/GRACE-FOデータの基本的な読み込みとプロット(ライブラリに依存)
import numpy as np
# import some_grace_processing_library as grace_lib # 実際のライブラリ名に置き換える

# 仮のデータファイルパス
# data_file = 'path/to/grace_spherical_harmonics_data.nc'

# データの読み込み(ライブラリの機能を使用)
# sh_data = grace_lib.read_grace_sh(data_file)

# 時系列データの取得やフィルター処理などの解析に進む

# 例:簡単な擬似データのプロット(実際のデータ解析とは異なります)
# time = np.arange(sh_data.shape[0])
# region_avg_ewh = grace_lib.calculate_region_average(sh_data, region_mask)

# import matplotlib.pyplot as plt
# plt.plot(time, region_avg_ewh)
# plt.xlabel('Time (months)')
# plt.ylabel('Equivalent Water Height Change (cm)')
# plt.title('Mass Change in a Region')
# plt.grid(True)
# plt.show()

上記コード例は概念を示すためのものであり、特定のライブラリの正確な使用法を示すものではありません。実際のコードは利用するライブラリのドキュメントを参照してください。

また、GMT (Generic Mapping Tools) や MATLAB などの環境でも、GRACE/GRACE-FOデータの解析スクリプトやツールボックスが利用可能です。

課題と注意点

GRACE/GRACE-FOデータを利用する上で、以下の課題と注意点があります。

まとめ

GRACEおよびGRACE-FO衛星ミッションは、地球の質量変動を高精度に観測し、気候変動研究に不可欠なデータを提供しています。陸域水貯水量、氷床・氷河の融解、海洋質量変動といった地球システムの重要なコンポーネントの時間変化を、広域かつ定量的に捉えることが可能です。

データ解析には、ノイズ除去や各種補正を含む丁寧な前処理が不可欠です。特に空間フィルターの適用とGIAモデルの選択は、結果に大きな影響を与えるため、その特性と限界を理解することが重要です。Pythonライブラリなどを活用することで、これらの解析プロセスを効率的に行うことができます。

GRACE/GRACE-FOデータは、他の衛星データ(例: アルティメトリ、光学、SAR)や地上観測データ、数値モデルと統合することで、気候変動に伴う地球システムの複雑な相互作用をより深く理解するための強力なツールとなります。これらのデータを活用し、気候変動研究の最前線で新たな知見を獲得することが期待されます。