宇宙と気候変動研究最前線

SARインターフェロメトリ(InSAR)を用いた気候変動研究:地殻変動、氷河ダイナミクス、植生構造変化の観測手法

Tags: InSAR, SAR, 気候変動, 衛星データ解析, リモートセンシング

はじめに

宇宙からの地球観測データは、気候変動研究において不可欠な情報源となっています。特に合成開口レーダー(SAR)は、雲や天候に関わらず地表面を観測できるため、光学センサーでは困難な状況下でも安定したデータを提供します。SAR技術の一つであるSARインターフェロメトリ(InSAR)は、複数時期に取得されたSAR画像の位相情報を用いて、地表面の微小な変位をミリメートル単位で計測できる強力な手法です。

InSARは、地震による地殻変動や火山の隆起・沈降などの地球物理学的現象の観測に広く用いられてきましたが、近年では気候変動に関連する様々な現象のモニタリングにもその応用が広がっています。本記事では、InSAR技術の気候変動研究における応用事例に焦点を当て、主要なデータセット、解析手法、そして実践的なアプローチについて解説します。

InSAR技術の基本原理と気候変動研究への関連性

InSARは、同一地域を異なる軌道または異なる時期に観測した2枚のSAR画像(干渉ペア)の間の位相差を解析することで、観測点間の距離の変化、すなわち地表面変位を測定します。基本的な原理は以下の通りです。

  1. 干渉ペアの選択: 互いに空間基線(衛星の位置の差)および時間基線(観測時間の差)が適切な2枚のSAR画像を選択します。
  2. 画像重ね合わせと干渉画像の生成: 画像を精密に重ね合わせ、ピクセルごとの複素信号を乗算して干渉画像を生成します。この画像には、地形による位相成分と地表面変位による位相成分などが含まれます。
  3. 地形成分の除去: 数値標高モデル(DEM)を用いて、地形に起因する位相成分を除去します(差分干渉SAR; DInSAR)。これにより、地表面変位や大気による遅延など、地形以外の位相成分が残ります。
  4. 位相アンラッピング: 位相は $[-\pi, \pi]$ の範囲に「巻き込まれて」いるため、本来の連続的な変位情報に戻す処理(アンラッピング)を行います。
  5. 変位マップの生成: アンラッピングされた位相から、衛星の視線方向(Line Of Sight; LOS)の変位量を算出します。

気候変動研究においては、短期間のイベントによる急激な変位だけでなく、数ヶ月から数年にわたるゆっくりとした地表面の変化や、氷河・氷床の持続的な動きを捉えることが重要です。このため、多数のSAR画像を解析して時系列的な変位を推定する手法(時系列InSAR)が特に有効です。代表的な時系列InSAR手法には、永久散乱体干渉SAR(PS-InSAR)や小空間基線干渉SAR(SBAS)などがあります。これらの手法を用いることで、個別の干渉ペア解析で生じる大気遅延や雑音の影響を低減し、より精密な時系列変位情報を得ることができます。

気候変動研究におけるInSARの応用事例

InSAR技術は、気候変動によって引き起こされる様々な地表面・雪氷圏・生態系の変化のモニタリングに活用されています。

氷河・氷床のダイナミクス

極域や高山域の氷河や氷床は、地球温暖化の影響を最も顕著に受ける要素の一つです。InSARは以下の観測に用いられます。

地盤変動(永久凍土融解、地下水変動など)

温暖化による永久凍土の融解は、地盤沈下や隆起、斜面崩壊などを引き起こし、インフラへの影響や生態系変化の原因となります。

植生構造変化

森林火災や干ばつ、病害虫の発生など、気候変動に関連するイベントは植生に構造的な変化をもたらします。SAR(特にLバンドのような長波長SAR)は植生を透過し、樹冠や地表面からの散乱情報を捉えるため、植生構造(森林の高さ、バイオマスなど)の変化検出に利用可能です。

主要なSAR衛星データセット

気候変動研究で一般的に利用されるSAR衛星ミッションには以下があります。

これらのデータは、各宇宙機関のデータポータルや、GeoPortalなどのデータハブから入手できます。

実践的な解析ツールと手法

InSAR解析には専門的なソフトウェアが必要です。オープンソースソフトウェアが研究コミュニティで広く利用されています。

これらのツールを用いた一般的なInSAR解析フローは以下のようになります。

  1. データ選択とダウンロード: 観測時期、観測モード、空間基線などを考慮してSAR画像を選択し、ダウンロードします。
  2. 前処理: 衛星軌道情報の精密化、画像のフォーカシング(処理済みデータの場合は不要な場合も)、位置合わせなどを行います。
  3. 干渉画像の生成: 干渉ペアを選択し、干渉画像を生成します。
  4. 地形成分の除去: DEMを用いて地形位相を除去します。
  5. フィルタリング: 干渉画像に含まれるノイズを低減します。
  6. 位相アンラッピング: 位相情報を連続的な変位情報に変換します。
  7. 変位計算とジオコーディング: 視線方向の変位量を計算し、地理座標系に変換します。
  8. 大気補正: 大気遅延に起因する誤差を低減するために、モデルデータ(例:ERA5)やスタック内のデータ統計情報を利用した補正を行います。
  9. 時系列解析(時系列InSARの場合): 多数の干渉ペアや単一マスタ画像スタックを用いて、各ピクセルの時系列変位を推定します。

特に、時系列InSAR解析や大規模な領域の解析を行う場合、計算資源や処理時間が課題となります。クラウドコンピューティング環境(AWS, Google Cloudなど)を利用したり、Pythonライブラリ(例:isce2をラップするverdictmintpyなど)を活用して処理を自動化・並列化することが一般的です。

Pythonを用いたデータ処理の例として、InSAR結果(例:GeoTIFF形式の変位マップ)を読み込み、簡単な可視化や時系列データ操作を行うコードスニペットを示します。

import rasterio
import numpy as np
import matplotlib.pyplot as plt

# GeoTIFF形式の変位マップを読み込む
file_path = 'displacement_map.tif'
with rasterio.open(file_path) as src:
    displacement_data = src.read(1)
    transform = src.transform
    crs = src.crs

# NaN値をマスク
displacement_data = np.ma.masked_equal(displacement_data, 0) # 例として0をマスクする場合

# 簡単な可視化
plt.figure(figsize=(10, 8))
plt.imshow(displacement_data, cmap='viridis', origin='upper',
           extent=[transform.c + transform.a*0, transform.c + transform.a*src.width,
                   transform.f + transform.e*src.height, transform.f + transform.e*0])
plt.colorbar(label='Displacement (meters)')
plt.title('InSAR LOS Displacement Map')
plt.xlabel('Longitude')
plt.ylabel('Latitude')
plt.show()

# 特定の点の時系列変位を抽出する場合(時系列InSAR結果が別途必要)
# time_series_file = 'time_series_displacement.h5' # 例: HDF5形式の時系列データファイル
# point_x, point_y = 100, 200 # ピクセル座標
# with h5py.File(time_series_file, 'r') as f:
#     times = f['timeline'][:]
#     ts_data = f['displacement_ts'][:, point_y, point_x]
#
# plt.figure()
# plt.plot(times, ts_data)
# plt.xlabel('Time')
# plt.ylabel('Displacement (meters)')
# plt.title(f'Time series displacement at pixel ({point_x}, {point_y})')
# plt.show()

上記は基本的な読み込みと表示の例であり、実際のInSAR時系列解析はより複雑なデータ構造や処理が必要です。mintpyなどのライブラリは時系列InSAR解析結果の読み込みや可視化に特化した機能を提供します。

課題と今後の展望

InSARを用いた気候変動研究にはいくつかの課題があります。

しかし、衛星技術の進歩により、Sentinel-1のような高頻度観測データが継続的に提供されており、より精密かつ広範囲の時系列InSAR解析が可能になっています。また、NISARのような新しい衛星ミッションは、LバンドとSバンドを組み合わせることで、植生透過性や観測分解能の向上をもたらすと期待されています。クラウドベースの処理プラットフォームや、自動化・並列化が進んだオープンソースソフトウェアの開発も、InSARデータ利用のハードルを下げています。

まとめ

SARインターフェロメトリ(InSAR)は、気候変動に伴う地殻変動、氷河・氷床のダイナミクス、永久凍土地域の地盤変動、そして植生構造変化など、多岐にわたる地球表面の変化を精密に観測できる強力なリモートセンシング技術です。Sentinel-1をはじめとする衛星データと、SNAP, StaMPS, GMTSAR, ISCE2などのオープンソースツール、そしてPythonによるプログラミングを活用することで、これらの現象に関する詳細かつ広範囲な情報を取得し、気候変動研究に貢献することが可能です。大気遅延や植生による影響といった課題はありますが、技術の進歩により克服が進んでおり、今後ますます気候変動研究におけるInSARの重要性は増していくでしょう。若手研究者にとって、InSAR技術は新たな視点から地球システムの変化を捉えるための、非常に有望な解析手法と言えます。