衛星データを用いた気候変動下の生物多様性モニタリング:主要な観測指標と解析手法
はじめに
気候変動は、地球上の生物多様性に対して広範かつ深刻な影響を及ぼしています。生息地の変化、種の分布移動、生態系機能の変化など、様々な形で生物多様性の喪失リスクを高めていることが報告されています。このような状況下で、生物多様性の現状を把握し、気候変動による影響を評価するためには、広域かつ継続的なモニタリングが不可欠です。
しかしながら、従来の地上調査のみによるモニタリングは、空間的なカバレッジや頻度に限界があります。ここで、宇宙からの地球観測データ、すなわち衛星データが重要な役割を果たします。衛星データは、地球表面の様々な情報を定期的かつ広範囲にわたって取得できるため、生物多様性に関連する環境要因や、その変化を効率的に捉えることを可能にします。
本記事では、衛星データを用いた気候変動下の生物多様性モニタリングについて、観測可能な主要な指標、利用される代表的なデータセット、そして実践的な解析手法に焦点を当てて解説します。これらの情報が、読者の皆様の研究活動の一助となれば幸いです。
衛星データで観測可能な生物多様性関連指標
生物多様性は多様な側面を持つ概念であり、衛星データが直接的に全ての生物種や個体数を観測することは困難です。しかし、衛星データは生物の生息環境や生態系の構造、機能に関連する様々な物理的・生物的指標を観測することで、間接的に生物多様性のモニタリングに貢献することができます。気候変動との関連で特に重要な指標をいくつかご紹介します。
植生構造と状態
植生は生物の生息地を形成し、多くの生物に食料や避難場所を提供します。植生の変化は生物多様性に直接的な影響を与えます。衛星データから得られる代表的な植生関連指標には以下のようなものがあります。
- 植生指数 (Vegetation Indices): 正規化植生指数 (NDVI) や強調植生指数 (EVI) など。植生の生育状態や被覆率、葉面積指数 (LAI) の指標となります。時系列での変化を追うことで、乾燥ストレスや病害、季節性の異常などを検出できます。
- 林冠構造: LiDAR (Light Detection and Ranging) データから得られる樹高、林冠の垂直・水平構造、林冠開口率など。これは森林生態系の物理構造を詳細に捉え、鳥類や昆虫などの生息地構造の質を評価する上で重要です。
- バイオマス: SAR (Synthetic Aperture Radar) やLiDARデータを用いた森林バイオマス推定。生態系の炭素貯蔵量と関連し、生息地の量的な指標となります。
土地被覆・土地利用変化 (LULC)
生息地の喪失、分断、劣化は、現在最も生物多様性を脅かす要因の一つです。土地被覆の種類(森林、草原、湿地、農地、都市域など)やその利用形態の変化をモニタリングすることは、生息地の動態を把握するために極めて重要です。
高分解能光学衛星データやSARデータを組み合わせることで、詳細な土地被覆分類マップを作成し、時系列での変化検出を行うことができます。例えば、森林から農地への転換、都市のスプロール化、湿地の乾燥化などがこれにあたります。これらの変化は、特定の生物種の生息に適した空間の減少や分断を引き起こします。
水文要素
水域(河川、湖沼、湿地、海洋)は多くの生物にとって不可欠な生息地です。気候変動は降水パターンや温度変化を通じて、これらの水域の分布や水量、水質に影響を与えます。
SARデータは、そのマイクロ波が雲を透過する特性から、洪水域のマッピングや湿地の検出に有効です。光学データ(特に赤外域)は、水域の extent や水質指標(例:クロロフィルa濃度)の観測に利用されます。SWOTミッションのような新しいデータは、河川幅や湖沼・海洋の表面水位変化を広域にわたってモニタリングすることを可能にし、水生生物の生息環境評価に貢献します。
地表面温度 (LST)
気温や地表面温度は、生物の生理機能や分布を決定する重要な環境要因です。気候変動による温度上昇は、多くの生物種にとって生存可能な範囲を変化させ、分布域の移動やフェノロジー(季節性)の変化を引き起こします。
熱赤外センサーを持つ衛星(例:Landsat TIRS, MODIS)から得られる地表面温度データは、特定の地域の温度環境を広域かつ継続的にモニタリングするために利用されます。都市のヒートアイランド現象の評価など、微気候レベルでの変化も捉えることができます。
フェノロジー (植生季節性)
植生の季節的な生育サイクル(芽吹き、開花、落葉など)は、気温や降水パターンに強く影響されます。衛星時系列植生データを用いたフェノロジーのモニタリングは、気候変動に対する生態系の応答を捉えるための重要な指標となります。例えば、NDVI時系列から生育期間の開始・終了時期や最大生育期を抽出し、その長期的な変化を分析することで、気候変動の兆候やその生態系への影響を評価できます。
主要な衛星データセットと解析ツール
生物多様性モニタリングに利用される衛星データは多岐にわたりますが、研究でよく用いられる代表的なデータセットをいくつかご紹介します。
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光学データ:
- Landsatシリーズ: 1970年代から継続的に観測を行っており、長期時系列解析に不可欠です(約30m分解能)。陸域の土地被覆、植生、水域などの変化を捉えるのに適しています。
- Sentinel-2: 欧州宇宙機関 (ESA) のCopernicusプログラムによるミッション。高分解能(10m, 20m, 60m)で広範囲を頻繁に観測しており、詳細な植生や土地被覆の変化検出に非常に有用です。
- MODIS, VIIRS: 低空間分解能(数百m〜数km)ですが、高い時間分解能(日単位)を持ちます。広域スケールでの植生指数、LST、フェノロジーなどのモニタリングに適しています。
- PlanetScope, WorldView: 高分解能商用衛星。数m以下の空間分解能で、非常に詳細な植生構造や土地被覆を捉えることができますが、取得コストが高い場合があります。
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SARデータ:
- Sentinel-1: ESAのCopernicusプログラム。CバンドSARで、天候や昼夜に左右されず、陸域・海域を観測します。植生構造、水域 extent、地形変化などの把握に利用されます。
- ALOS-2 PALSAR-2: JAXAのLバンドSAR。Cバンドよりも深く植生内部に penetration する特性があり、森林バイオマスや構造の詳細な評価、水域下植生の検出などに有用です。
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LiDARデータ:
- GEDI (Global Ecosystem Dynamics Investigation): 国際宇宙ステーションに搭載されたライダー。森林の垂直構造やバイオマスを高密度に観測します。
- ICESat-2 (Ice, Cloud, and land Elevation Satellite-2): 陸域の標高、氷河の高さ、植生高などを精密に計測します。GEDIと同様に森林構造解析に貢献します。
これらの衛星データの解析には、様々なソフトウェアやライブラリが利用されます。
- プログラミング言語とライブラリ:
- Python: 衛星データ解析の標準的な言語となりつつあります。
rasterio
,xarray
,rioxarray
,shapely
,geopandas
,scikit-image
などを用いて、ラスター・ベクターデータの読み書き、処理、解析、可視化を行います。機械学習ライブラリ (scikit-learn
,TensorFlow
,PyTorch
) と組み合わせることで、高度な画像分類や変化検出が可能です。 - R: 統計解析に強く、リモートセンシングデータ解析用のパッケージ (
raster
,sf
,sp
,rgdal
,sen2r
など) も豊富です。
- Python: 衛星データ解析の標準的な言語となりつつあります。
- GISソフトウェア:
- QGIS: オープンソースで多機能なデスクトップGISソフトウェア。衛星画像の前処理、基本的な解析、空間分析、可視化に広く利用されています。
- ArcGIS: 商用GISソフトウェア。高度なリモートセンシングツールや空間統計ツールを備えています。
- クラウドプラットフォーム:
- Google Earth Engine (GEE): 大量の衛星データ(Landsat, Sentinel, MODISなど)にアクセスし、クラウド上で解析を実行できるプラットフォーム。広域の時系列解析や大規模な土地被覆分類などを効率的に行えます。
- Microsoft Planetary Computer: 地球観測データや環境関連データをクラウド上で提供し、解析環境も提供します。SpatioTemporal Asset Catalog (STAC) に対応しています。
実践的な解析手法の例
衛星データを用いた生物多様性モニタリングの研究を進める上で、いくつか実践的な解析手法の例を挙げます。
1. 長期時系列植生指数解析によるフェノロジー変化検出
LandsatやSentinel-2、MODISなどの時系列植生指数データを用いて、生育期間の開始・終了時期、最大生育度、生育期間長などのフェノロジーパラメータを抽出します。これらのパラメータの過去数十年にわたるトレンドを、季節調整モデル(例:BFAST - Breaks For Additive Season and Trend)などを用いて分析することで、気候変動による植生サイクルの変化(例:春の到来の早期化、生育期間の長期化など)を検出できます。これは、植物種だけでなく、それに依存する昆虫や鳥類の活動時期のずれ(ミスマッチ)を評価する基礎となります。
# 例:xarray と rioxarray を用いた時系列NDVIデータの読み込みと基本処理
# 実際の処理では、より複雑な前処理やモデル適用が必要です
import xarray as xr
import rioxarray as rio
import matplotlib.pyplot as plt
# 仮の時系列NDVIデータファイルパスリスト
# files = ['path/to/ndvi_20000101.tif', 'path/to/ndvi_20000116.tif', ...]
# データの読み込み (例: 仮想のNetCDFファイル)
# ds = xr.open_mfdataset(files, combine='by_coords') # 複数のGeoTIFFを結合する場合
ds = xr.open_dataset('path/to/time_series_ndvi.nc') # NetCDFファイルの場合
# 特定の場所の時系列データを抽出
# point = (lon, lat)
# point_data = ds.ndvi.sel(lon=point[0], lat=point[1], method='nearest')
# 時系列データのプロット (例)
# point_data.plot()
# plt.title('NDVI Time Series at a Point')
# plt.xlabel('Time')
# plt.ylabel('NDVI')
# plt.show()
# より高度な解析には、季節トレンド分解や変化点検出ライブラリ(例: `pyTsetlinMachine`, 統計モデル実装など)を利用
2. 高分解能画像を用いた生息地タイプの詳細マッピングと断片化分析
Sentinel-2や商用高分解能光学データを用いて、機械学習アルゴリズム(例:Random Forest, Support Vector Machine, Deep Learning)を用いた教師あり分類により、詳細な土地被覆マップを作成します。さらに、SARデータやLiDARデータを補助情報として加えることで、分類精度を高めることができます。
作成された高分解能土地被覆マップに対し、GISソフトウェアやPythonライブラリ(例:geopandas
, rasterstats
)を用いて生息地タイプの面積、パッチ数、エッジ密度、連結性などの景観生態学的な指標を算出します。これらの指標の時系列変化を分析することで、気候変動や人為的活動による生息地の喪失や断片化の進行度を評価できます。
3. 衛星由来環境変数を用いた種の分布モデル (SDM)
衛星データから抽出された多様な環境変数(例:植生指数、LST、地形、水域からの距離など)を説明変数として用い、地上観測された種の出現記録と組み合わせて、種の潜在的な分布域を予測するモデル(SDM)を構築します。MaxEntやGeneralized Additive Models (GAMs) といった手法がよく用いられます。
気候変動シナリオに基づき将来の環境変数を予測し、構築したSDMに適用することで、将来の種の分布域の変化を予測し、気候変動が生態系に与える影響を評価することができます。これは、保全計画や適応策の立案に有用です。
課題と今後の展望
衛星データを用いた生物多様性モニタリングは強力なツールですが、いくつかの課題も存在します。衛星データの間接的な性質(種の直接観測が困難)、異なるセンサーやプラットフォーム間でのデータの標準化と統合、空間的・時間的スケールの不一致(地上観測データとの比較検証)、雲による光学データの欠損などが挙げられます。
しかし、これらの課題に対処するための研究開発も活発に行われています。AIや機械学習の発展は、衛星画像からの生物多様性関連情報の抽出精度を向上させ、複雑な生態系パターンを認識することを可能にしています。クラウドコンピューティング環境は、大規模な衛星データセットの効率的な処理と解析を促進しています。
また、将来の衛星ミッション、特にNASAのSurface Biology and Geology (SBG) 指定観測のような、植生組成、生物化学的特性、水質などを詳細に観測できる次世代のハイパースペクトル・熱赤外センサーへの期待が高まっています。これらの新しいデータは、生物多様性モニタリング能力を飛躍的に向上させる可能性があります。
まとめ
宇宙からの地球観測データは、気候変動下の生物多様性モニタリングにおいて不可欠な情報源です。植生構造、土地被覆、水文要素、温度、フェノロジーなど、多様な衛星由来指標を解析することで、生息地の動態や生態系の応答を広域的かつ継続的に追跡することが可能です。
Landsat, Sentinel, MODIS, GEDI, ICESat-2といった主要な衛星データセットと、PythonライブラリやGEEのような解析ツールを組み合わせることで、長期時系列解析、詳細な生息地マッピング、種の分布予測など、実践的な研究を進めることができます。
気候変動が進行する中で、生物多様性を保全するためには、その変化を正確に理解することが喫緊の課題です。衛星データと最新の解析技術を活用することは、この課題に取り組む上で強力なアプローチとなります。若手研究者の皆様が、これらの技術を積極的に活用し、生物多様性研究の最前線で活躍されることを期待しております。