衛星データを用いた気候変動リスク評価:データセット、指標、実践的解析手法
はじめに
気候変動は、自然環境や社会経済システムに様々なリスクをもたらしています。これらのリスクを適切に評価し、適応策や緩和策を講じることは喫緊の課題です。気候変動リスクは一般的に、ハザード(危険事象の可能性や強度)、曝露(リスクにさらされる人、資産、生態系など)、脆弱性(リスクに対するシステムの感受性や対応能力)の3つの要素の組み合わせとして理解されます。
宇宙からの地球観測データは、これらのリスク構成要素を全球規模で、かつ継続的にモニタリングするための不可欠な情報源となっています。陸域、水域、大気、雪氷圏といった様々な地球システムの状態や変化に関する衛星データは、気候変動によるハザードの発生傾向や強度、曝露される対象の地理的分布、そしてシステムの脆弱性に関する情報を提供します。
本記事では、衛星データを用いた気候変動リスク評価研究に必要な主要なデータセット、リスク評価に活用できる指標、そして実践的な解析手法について概説します。若手研究者が自身の研究で衛星データをリスク評価に応用するための基本的な視点を提供することを目指します。
気候変動リスク評価における衛星データの役割
衛星データは、気候変動リスクの各構成要素に対して多様な情報を提供します。
1. ハザードの把握
気候変動によって変化する可能性のある様々なハザード(例: 洪水、干ばつ、熱波、海面上昇、山火事、極端な降雨など)の頻度、強度、空間分布を観測できます。
- 洪水・水文変動:
- SAR (合成開口レーダー) データ: 水域の範囲や変化を昼夜・天候によらず観測できます。Sentinel-1などのデータは、洪水時の浸水範囲マッピングに広く利用されています。
- レーダー・ライダー高度計データ: 海面水位、河川・湖沼の水位、氷河の厚さ変化などを観測します。SWOTミッションは河川・湖沼の広がりと水位を同時に観測し、水資源変動や洪水リスク評価に貢献します。GRACE/GRACE-FOミッションは陸域水貯留量の変化を捉え、広域的な干ばつ傾向の把握に役立ちます。
- 熱関連ハザード:
- 熱赤外データ: 地表面温度(LST)を観測します。Landsat, Sentinel-3, MODISなどのデータは、都市ヒートアイランドや熱波の空間的影響評価に利用されます。
- 山火事:
- 光学データ: 火災検知、燃焼域マッピング、植生回復モニタリングに利用されます。MODIS, VIIRS, Landsat, Sentinel-2などが主要なデータ源です。
- 雪氷圏ハザード:
- 光学・SAR・高度計データ: 雪氷面積、厚さ、融解、移動速度などを観測します。氷河湖決壊洪水や雪崩リスク評価に関連します。
2. 曝露の評価
リスクにさらされる対象(人口、インフラ、農地、生態系など)の空間的な分布や特性を把握します。
- 土地被覆・土地利用:
- 高分解能光学データ: 建物、道路、農地、森林などの詳細な土地被覆・土地利用を分類できます。Sentinel-2, Landsat, 商用衛星データなどが利用されます。
- 人口分布:
- 光学データや夜間光データ(例: VIIRS DNB)と機械学習手法を組み合わせることで、詳細な人口分布を推定する研究が進んでいます。
- 資産・インフラ:
- 高分解能光学データやSARデータを用いて、建物やインフラの存在、種類、場合によっては構造的な情報を抽出する研究があります。
3. 脆弱性の分析
気候変動の影響を受けやすさや、それに対応する能力を評価します。これは社会経済的な要因が大きく関わる場合が多いですが、衛星データも間接的に情報を提供できます。
- 植生の状態:
- 植生指数(例: NDVI, EVI): 干ばつや熱波に対する生態系の健全性や回復力を示唆します。MODIS, VIIRS, Landsat, Sentinel-2などがデータ源となります。
- 水資源へのアクセス:
- 水域分布や地下水貯留量(GRACE/GRACE-FO)の変化は、水ストレスに対する生態系や社会システムの脆弱性に関連します。
- 農地の状態:
- 植生指数やSARデータ(作物タイプ、生育状況)は、農業システムの干ばつや洪水に対する脆弱性を評価する上で重要です。
- 都市構造:
- 高分解能データによる詳細な土地被覆分析や、LiDARによる建物高さ・構造情報は、都市域の洪水や熱に対する脆弱性(例: 不透水面率、建物の密集度)の評価に役立ちます。
実践的な解析手法
衛星データを用いた気候変動リスク評価では、様々な解析手法が組み合わされます。
1. データ前処理と指標算出
衛星データは解析に先立ち、放射補正、幾何補正、大気補正などの前処理が必要です。クラウドマスキングなども重要です。その後、リスク評価に有用な各種指標を算出します。
# 例:Sentinel-2データからNDVIを計算する基本的なPythonコード(概念)
import rasterio
import numpy as np
def calculate_ndvi(red_band_path, nir_band_path):
with rasterio.open(red_band_path) as red_src, \
rasterio.open(nir_band_path) as nir_src:
red = red_src.read(1).astype(float)
nir = nir_src.read(1).astype(float)
# NDVI計算式: (NIR - Red) / (NIR + Red)
# 分母がゼロになる場合のエラーを防ぐ
numerator = nir - red
denominator = nir + red
ndvi = np.where(denominator == 0, 0, numerator / denominator)
return ndvi, red_src.meta # メタデータを一緒に返す
# ファイルパスは適切なものに置き換えてください
# ndvi_array, meta = calculate_ndvi('path/to/red.tif', 'path/to/nir.tif')
# print("NDVI計算完了")
2. 地理情報システム(GIS)を用いた空間解析
GISソフトウェア(QGIS, ArcGISなど)やPythonライブラリ(geopandas, rasterio, shapelyなど)を用いた空間解析は、リスク評価の中核をなします。
- データ重ね合わせ: ハザードマップ、曝露データ(人口、インフラ)、脆弱性データなどを重ね合わせて、リスクが高いエリアを特定します。
- バッファ解析: 河川や海岸線からの距離など、特定のフィーチャーからの近接性を評価し、曝露や脆弱性の指標と組み合わせます。
- リスクマップ作成: 解析結果を視覚化し、空間的なリスク分布を示すマップを作成します。
3. 統計的手法と機械学習
過去のハザード発生データ、衛星由来の環境データ、社会経済データを組み合わせて、統計モデルや機械学習モデルを構築し、将来のリスクを予測したり、リスク要因を特定したりします。
- 線形回帰、ロジスティック回帰、決定木、ランダムフォレストなどの標準的な手法に加え、より複雑な空間的・時間的パターンを捉えるためにディープラーニングが利用されることもあります。
4. 時系列解析
複数の時点の衛星データを解析することで、ハザードの頻度や強度の変化、曝露される対象の変化、脆弱性のトレンドなどを捉えることができます。これにより、過去のリスクの変遷を理解し、将来予測の精度向上に役立てます。
5. データ融合
異なる種類の衛星データ(光学、SAR、熱赤外など)や、衛星データと地上データ、社会経済データを統合することで、より包括的で信頼性の高いリスク評価が可能になります。例えば、SARで検出した浸水域と高分解能光学画像で分類した建物データを組み合わせることで、洪水による建物への曝露を詳細に評価できます。
最新の研究動向と今後の展望
近年、気候変動リスク評価における衛星データの活用は以下の点で進化しています。
- 高分解能・高頻度データの利用拡大: Sentinel衛星や商用衛星データの普及により、より詳細かつタイムリーなリスク評価が可能になっています。
- クラウドプラットフォームの活用: Google Earth Engine, Microsoft Planetary Computerなどのプラットフォームは、大規模な衛星データに容易にアクセスし、クラウド上で高速に解析することを可能にし、リスク評価研究の効率を飛躍的に向上させています。
- AI・機械学習の高度な応用: ディープラーニングを用いたオブジェクト検出(建物、インフラ)、土地被覆分類、ハザード予測、脆弱性マッピングなどが活発に行われています。
- Explainable AI (XAI) の重要性: リスク評価モデルの判断根拠を説明可能にすることで、政策決定者や地域住民への信頼性の高い情報提供を目指す動きがあります。
- 因果関係分析: 衛星データから得られる様々な環境・社会指標間の因果関係を分析し、リスク発生のメカニズムをより深く理解する試みも始まっています。
まとめ
衛星データは、気候変動リスクを構成するハザード、曝露、脆弱性の各要素に関する貴重な情報を提供します。光学、SAR、熱赤外、高度計など、様々な種類の衛星データを適切に選択・組み合わせ、GIS、統計手法、機械学習、時系列解析といった手法を駆使することで、地域から全球規模までの気候変動リスクを評価することが可能です。
若手研究者にとって、衛星データを用いた気候変動リスク評価は、社会的に意義深く、かつ学術的にも挑戦的な研究テーマです。多くの衛星データがオープンアクセスで提供されており、Pythonなどのツールも充実しています。これらのリソースを活用し、既存の研究事例を参考にしながら、新たなデータセットや解析手法を組み合わせることで、この分野の発展に貢献できる機会は豊富にあります。
今後、さらに多様な衛星ミッションが計画されており、データ融合やAI技術も進化していくことから、衛星データを用いた気候変動リスク評価研究の可能性はますます広がっていくと考えられます。