衛星データによる河川流量変動と洪水監視:主要データセットと実践的解析手法
衛星データによる河川流量変動・洪水監視研究の重要性
気候変動は、世界各地で水循環の変動を加速させており、これに伴う河川流量の極端な変化や洪水リスクの増大は深刻な社会課題となっています。特に、地上観測網が不十分な地域や、広大な流域における水文現象を把握するためには、宇宙からの地球観測データが不可欠です。衛星データは、地表の状態や水域の広がり、さらには水位や流量そのものを広域かつ経時的に観測することを可能にし、河川流量の変動メカニズムの解明や、洪水発生時の迅速な被害状況把握、さらには将来的な洪水リスク評価に大きく貢献します。
この分野の研究において、若手研究者が衛星データを効果的に活用するためには、多様な衛星センサーの特徴を理解し、目的に応じたデータセットを選択し、適切な解析手法を適用することが重要です。本記事では、河川流量変動と洪水監視に用いられる主要な衛星データセットと、それらを活用するための実践的な解析手法について解説します。
河川流量変動・洪水監視に利用される主要な衛星データ
河川流量や洪水に関する情報を取得するためには、単一の種類の衛星データだけでは不十分な場合が多く、複数のセンサータイプを組み合わせた多角的なアプローチが有効です。
1. 光学センサーデータ
LandsatやCopernicus Sentinel-2などの光学センサーは、河川の形状、河川幅、氾濫域の広がりなどを高い空間解像度で捉えることができます。特に、洪水発生後の浸水域マッピングには広く利用されています。ただし、雲や夜間には観測ができないという制約があります。
- データセット例: Landsat Collection 2 Level-2、Sentinel-2 Level-2A
- 活用例: 河川幅の経時変化解析、洪水発生後の浸水域境界抽出。
2. SAR (合成開口レーダー) センサーデータ
Sentinel-1などのSARセンサーは、マイクロ波を用いて地表を観測するため、天候や昼夜に関係なく観測が可能です。水面はSAR信号を鏡のように反射するため、画像上では非常に暗く写ります。この特性を利用して、水域の検出や洪水時の浸水域を正確にマッピングすることができます。植生下の浸水も検知可能な場合があります。
- データセット例: Sentinel-1 GRD (Ground Range Detected)
- 活用例: 洪水発生時の浸水域マッピング、水域面積の時系列解析、植生下の水域検出。
3. レーダーアルチメトリデータ
JasonシリーズやCopernicus Sentinel-3に搭載されているレーダーアルチメトリは、衛星から地表にマイクロ波パルスを発射し、それが反射して戻ってくるまでの時間から衛星直下の地表面高度を測定するセンサーです。海洋の海面高度観測で広く利用されていますが、近年では改良されたセンサーや解析手法により、大河川や湖沼の水位変動観測にも利用されています。
特に、NASAとCNESが共同運用するSurface Water and Ocean Topography (SWOT) ミッションは、従来の点観測だったアルチメトリに対し、広幅員で地表水の高度と表面積を同時に観測することを目的としており、河川流量推定に革命をもたらす可能性を秘めています。
- データセット例: Sentinel-3 SRAL Level-2 Water product, SWOT Level 2/3 data
- 活用例: 河川水位の時系列モニタリング、河川水位と流量の関係(水位-流量曲線)の推定、SWOTデータを用いた流量推定。
4. マイクロ波放射計データ
GPM (Global Precipitation Measurement) やAMSR (Advanced Microwave Scanning Radiometer) などのマイクロ波放射計は、大気中の水蒸気量、降水量、雪氷、土壌水分などを観測します。河川流量そのものを直接観測するわけではありませんが、流域全体の水循環の状態を把握するための補完情報として非常に有用です。
- データセット例: GPM IMERG (Integrated Multi-satellitE Retrievals for GPM), AMSR-2 L3 土壌水分プロダクト
- 活用例: 流域の降水量・土壌水分変動のモニタリング、水文モデルのインプットデータ。
実践的なデータ解析手法
1. 水域抽出と浸水域マッピング
光学画像やSAR画像から水域を抽出する最も基本的な方法は、特定の spectral index (例: NDWI - Normalized Difference Water Index) の閾値処理や、SARバック散乱係数(例: VH偏波やVV偏波)の閾値処理を用いることです。より高度な手法としては、教師あり・なし機械学習を用いた画素分類や、オブジェクトベースの画像解析(OBIA)が利用されます。時系列データに対して変化検出手法を適用することで、浸水域の拡大・縮小を追跡することも可能です。
# 例: Sentinel-2データからのNDWI計算 (概念コード)
# import rasterio
# import numpy as np
#
# with rasterio.open('sentinel2_band3.tif') as src_green:
# green = src_green.read(1).astype('float32')
# with rasterio.open('sentinel2_band8.tif') as src_nir:
# nir = src_nir.read(1).astype('float32')
#
# # NDWI = (Green - NIR) / (Green + NIR)
# # 分母がゼロになる場合の処理
# ndwi = np.where(
# (green + nir) == 0.,
# 0.,
# (green - nir) / (green + nir)
# )
#
# # NDWI > 閾値 で水域と判定
# water_mask = ndwi > 0.1 # 例として0.1を使用
#
# # water_maskをGeoTIFFなどで保存
2. 河川水位・流量推定
アルチメトリデータからは、衛星軌道が河川を横断する地点での水位が得られます。これらの点データを集約し、同じ河川断面での時系列水位データとして整理します。既存の水位観測データや地形データと組み合わせて、水位-流量曲線を構築することで、衛星水位データから流量を推定することが試みられています。
SWOTデータが登場したことで、広範囲の河川の水位・幅・勾配データが得られるようになり、これを基にした物理モデルや機械学習モデルを用いた高精度な流量推定研究が進んでいます。光学・SAR画像から得られる河川幅情報も、水位・流量推定の制約条件として活用されることがあります。
3. 時系列解析と異常検出
過去数十年にわたる衛星データアーカイブ(例: Landsatアーカイブ、Copernicusデータアーカイブ)を利用して、河川幅や水域面積、水位などの長期的な時系列変動を解析することで、気候変動に伴うトレンドや周期性を明らかにすることができます。また、過去の平均的な変動パターンから大きく外れるイベント(洪水や干ばつ)を、時系列データの異常値として検出する手法も有効です。
XarrayやPandasといったPythonライブラリは、このような多次元・時系列データの取り扱いに非常に適しています。
最新の研究動向と今後の展望
- SWOTミッションの活用: SWOTによって得られる画期的なデータを用いた、これまで観測が困難だった中小河川を含むグローバルな河川流量推定の研究が急速に進展しています。
- 機械学習・深層学習の応用: 衛星画像からの高精度な水域・浸水域抽出、アルチメトリデータと他の情報を組み合わせた水位・流量推定モデルの構築に、機械学習や深層学習が広く活用されています。特に、複雑な非線形関係のモデリングにおいてその能力を発揮しています。
- データ融合と統合解析: 複数の衛星センサーデータ、地上観測データ、気候モデル出力、水文モデル出力などを統合的に解析することで、より包括的な水文現象の理解や高精度な予測を目指す研究が進んでいます。
- クラウド環境での大規模処理: Google Earth EngineやAWS、Azureなどのクラウドプラットフォームを活用することで、広大な領域や長期の時系列データに対する大規模なデータ処理・解析が現実的になっています。これにより、これまでは不可能だった空間・時間スケールでの研究が可能になっています。
研究への応用と実践的課題
衛星データを用いた河川流量変動・洪水監視の研究は、洪水予測システムの改良、水資源管理計画の最適化、気候変動影響評価など、多岐にわたる応用が考えられます。
しかしながら、実践的なデータ利用においては、以下のような課題が存在します。
- データの多様性: センサータイプ、解像度(空間、時間、放射)、データフォーマットが多岐にわたり、データの収集・前処理・統合に労力が必要です。Analysis Ready Data (ARD) の利用が進んでいますが、全てのデータがARDとして提供されているわけではありません。
- データの質と不確実性: 雲や大気の影響、センサーのノイズ、アルチメトリの観測ギャップなど、データには様々な不確実性が含まれます。これらの不確実性を適切に評価し、解析結果にどう影響するかを考慮する必要があります。
- アルゴリズムの選択と検証: 特定の目的に対して最適な解析アルゴリズムを選択し、地上観測データなどを用いた検証によりその精度を評価することが不可欠です。
- 計算リソース: 大規模な時系列データや高解像度データを扱う場合、ローカル環境では限界があり、クラウドやHPC環境の利用が現実的になります。
これらの課題に対し、既存のオープンソースツールやライブラリを効果的に活用し、クラウドプラットフォームの利用を検討することが、研究を効率的に進める上で重要なアプローチとなります。積極的に最新のデータセット(特にSWOTデータなど)や解析手法(機械学習、データ融合)を取り入れることで、気候変動下の水文現象の理解に貢献できるでしょう。