衛星観測による陸域生態系の炭素循環研究:利用可能なデータと解析手法
はじめに
地球温暖化の進行に伴い、気候変動研究における陸域生態系の役割に注目が集まっています。陸域生態系は、大気中の二酸化炭素(CO₂)を吸収し、炭素として貯蔵する重要な役割を果たしており、その炭素循環プロセスの理解は、気候変動予測や緩和策の検討において不可欠です。しかし、陸域生態系の炭素循環は、気候条件、土地利用変化、自然撹乱など様々な要因によって複雑に変動します。
広大で多様な陸域生態系の炭素収支を正確に把握するためには、広域的かつ継続的な観測が求められます。この点において、宇宙からの地球観測データは極めて有効なツールとなります。衛星データを用いることで、植生の活動状況、土地被覆の変化、バイオマスの量などを定量的に把握し、陸域生態系における炭素の取り込み(一次生産)や放出(呼吸、撹乱)のプロセスを推定することが可能になります。
本記事では、陸域生態系の炭素循環研究に活用される主要な衛星データ、それらを解析するための基本的な手法、そして研究を効率的に進めるための実践的なアプローチについて解説します。
炭素循環研究に活用される主要な衛星データ
陸域生態系の炭素循環は、植生の光合成活動、呼吸、成長、枯死、土壌有機物の分解、さらには森林伐採や火災などの土地利用変化や自然撹乱によって影響を受けます。これらのプロセスを衛星データから把握するために、多様なセンサーが搭載された衛星データが利用されています。
1. 光学センサーデータ
光学センサーは、地表面からの反射光や放射光を観測します。植生の健康状態、種類、被度などを捉えるのに適しており、一次生産量の推定に広く利用されます。
- Landsatシリーズ: 長期間(1970年代後半から)のデータ蓄積があり、土地被覆変化検出に重要です。空間分解能は中程度(例: 30m)。
- Sentinel-2 (ESA Copernicus計画): 高い空間分解能(10-60m)と多様な波長バンドを持ち、植生の詳細なモニタリングに適しています。
- MODIS (NASA EOS計画): 比較的低い空間分解能(250-1000m)ですが、高い時間分解能(ほぼ毎日)を持ち、広域の植生季節変化や一次生産量の変動を捉えるのに利用されます。
- VIIRS (Suomi-NPP, NOAA-20): MODISの後継ミッションとして、広域の植生情報を継続的に提供しています。
これらの光学データから、NDVI (Normalized Difference Vegetation Index) やEVI (Enhanced Vegetation Index) といった植生指標が計算され、植生の活動度を示す指標として広く用いられます。
2. SAR (合成開口レーダー) データ
SARはマイクロ波を照射し、地表面からの後方散乱を観測します。雲や夜間の影響を受けにくく、特に植生の構造や水分量、バイオマス推定に利用されます。
- Sentinel-1 (ESA Copernicus計画): CバンドSARによる継続的な観測データを提供し、森林域の構造変化や地上バイオマス推定、さらには湿地のモニタリングに利用されます。
3. LiDAR (ライダー) データ
LiDARはレーザーパルスを照射し、その反射時間から地表面や植生キャノピーまでの距離を測定します。植生の垂直構造やバイオマスを高精度に推定するのに有効です。
- GEDI (Global Ecosystem Dynamics Investigation): 国際宇宙ステーションに搭載されたLiDARで、主に森林の垂直構造や地上バイオマスを広域に観測しています。
- ICESat-2 (Ice, Cloud, and land Elevation Satellite-2): 地表高度や植生キャノピー高を測定し、植生バイオマス推定に利用されます。
4. 温室効果ガス観測衛星データ
大気中のCO₂やメタン濃度を直接観測する衛星データは、陸域生態系による炭素の吸収・放出量を逆解析的に推定するための重要な情報源となります。
- GOSAT (Greenhouse gases Observing SATellite) シリーズ (JAXA): 大気中のCO₂やメタン濃度を観測しています。
- OCO-2/3 (Orbiting Carbon Observatory) (NASA): 局所的なCO₂濃度を高精度に観測しています。
これらの多様な衛星データを、研究目的や対象地域に応じて適切に組み合わせ、活用することが重要です。
衛星データを用いた炭素循環解析手法
衛星データを陸域生態系の炭素循環研究に活用するための主な解析手法をいくつか紹介します。
1. 植生指標を用いた一次生産量(GPP/NPP)推定
植生指標(NDVI, EVIなど)と気象データ(日射量、気温など)を組み合わせた光利用効率モデルは、陸域生態系の総一次生産量(GPP: Gross Primary Production)や純一次生産量(NPP: Net Primary Production)を推定する一般的な手法です。衛星から得られる植生指標は、光合成に利用される光エネルギー吸収量(APAR: Absorbed Photosynthetically Active Radiation)と関連付けられ、これに光利用効率(気候変数によって制御される)を乗じることで生産量を推定します。
2. 土地被覆変化検出と炭素ストック評価
森林伐採や農地転換などの土地被覆変化は、陸域生態系の炭素ストックに大きな影響を与えます。光学衛星データの時系列解析や機械学習を用いた土地被覆分類により、これらの変化を検出します。検出された変化域に対し、森林タイプごとのバイオマスデータや土壌炭素データなどを組み合わせて、炭素ストックの変化量を評価します。
3. バイオマス推定
地上バイオマスは陸域生態系が貯蔵する炭素の重要なコンポーネントです。SARデータ(特にLバンド、Pバンド)は森林構造との関係が強く、バイオマス推定に利用されますが、飽和の問題があります。LiDARデータは垂直構造を直接観測するため、より高精度なバイオマス推定が可能ですが、データの取得範囲が限定的です。光学データや地形データ、気象データなどを組み合わせた機械学習モデルを用いたバイオマス推定も広く行われています。
4. 陸域生態系モデルへのデータ同化
衛星データは、プロセスベースの陸域生態系モデル(例: TEM, LPJ, ORCHIDEEなど)のパラメータ較正や初期値設定、さらにはデータ同化の手法を用いてモデルのシミュレーション結果を改善するために利用されます。例えば、衛星から推定されたGPPやバイオマスデータをモデルに同化することで、モデルの炭素収支推定精度を向上させることが試みられています。
実践的なデータ処理・解析アプローチ
膨大な衛星データを効率的に処理し、解析を行うためには、適切なツールとワークフローの構築が不可欠です。
1. データアクセスと前処理
衛星データは様々な機関から提供されており、その形式やデータ量も多様です。近年は、クラウドベースのプラットフォームやデータキューブ技術の利用が進んでいます。
- Google Earth Engine (GEE): 膨大な衛星データ(Landsat, Sentinel, MODISなど)がプラットフォーム上で利用可能であり、サーバー側で計算を実行するため、ローカル環境での大規模なデータダウンロードや処理負荷を軽減できます。
- クラウドストレージと計算リソース (AWS, Azure, Google Cloudなど): 独自のデータ処理パイプラインを構築し、大規模な並列計算を行う際に利用されます。
- データキューブ: 複数の衛星データセットや気象データなどを、空間・時間・属性次元を持つ多次元配列として整理する概念・技術であり、時系列解析などを効率化します。
データの放射量補正、大気補正、幾何補正といった前処理は解析精度に大きく影響するため、利用可能なツールやサービスを適切に活用することが重要です。
2. 解析環境とライブラリ
衛星データ解析には、様々なプログラミング言語やライブラリが利用されます。
- Python: 科学計算ライブラリが豊富であり、衛星データ解析の主要な言語となっています。
rasterio
,xarray
,rioxarray
: ラスタデータの読み書き、操作geopandas
: ベクタデータの操作numpy
,scipy
: 汎用的な数値計算scikit-learn
,tensorflow
,pytorch
: 機械学習、深層学習モデルの実装matplotlib
,seaborn
: データの可視化
- R: 統計解析に強く、地理空間データ解析にも多くのパッケージがあります。
- GISソフトウェア (QGIS, ArcGISなど): 衛星データの表示、基本的な空間解析、データの統合などに利用されます。
実践例: Pythonを用いた植生指標計算と時系列プロットの概念
Python環境で、Landsatなどの衛星画像からNDVIを計算し、特定の地点や領域の時系列変化をプロットする基本的なワークフローは以下のようになります。(概念的なコード例)
import rasterio
import numpy as np
import matplotlib.pyplot as plt
import os
# 複数のLandsat画像のファイルパスリストを仮定
# file_paths = ['path/to/landsat_image_1.tif', 'path/to/landsat_image_2.tif', ...]
# 対象地点の座標 (lon, lat) またはポリゴンを仮定
# target_location = (X, Y) # 単一点の場合
# 各画像からNDVIを計算し、時系列データを作成
# ndvi_series = []
# dates = []
# for file_path in file_paths:
# with rasterio.open(file_path) as src:
# # Landsat 8/9の場合: Band 4 (Red), Band 5 (NIR)
# # バンド番号は衛星センサーやファイル形式によって異なるため注意
# red = src.read(4).astype(float)
# nir = src.read(5).astype(float)
# # NDVI計算 (分母がゼロになる場合を考慮)
# # np.seterr(divide='ignore', invalid='ignore') # ゼロ除算/無効な値の警告を無視
# ndvi = (nir - red) / (nir + red)
# # ndvi[np.isnan(ndvi)] = -9999 # NaN値を特定の値に置き換えるなど
# # 特定地点または領域の平均NDVIを取得
# # 例: 単一点の場合、座標からピクセル値を抽出
# # row, col = src.index(target_location[0], target_location[1])
# # if 0 <= row < src.height and 0 <= col < src.width:
# # point_ndvi = ndvi[row, col]
# # ndvi_series.append(point_ndvi)
# # else:
# # ndvi_series.append(np.nan) # 範囲外の場合はNaN
# # 例: 領域平均の場合、ポリゴン内のピクセルを抽出し平均
# # masked_ndvi = rasterio.mask.mask(src, [target_polygon], crop=True)[0]
# # mean_ndvi = np.nanmean(masked_ndvi)
# # ndvi_series.append(mean_ndvi)
# # 画像の取得日などをdatesリストに追加
# # 時系列データをプロット
# # plt.figure(figsize=(10, 6))
# # plt.plot(dates, ndvi_series, marker='o')
# # plt.xlabel('Date')
# # plt.ylabel('NDVI')
# # plt.title('NDVI Time Series')
# # plt.grid(True)
# # plt.show()
# 上記は概念を示すための擬似コードです。実際のデータパス、座標/ポリゴン情報、
# バンド番号、日付情報は適切に設定する必要があります。
# 大規模な時系列処理には、xarrayやGEEの活用がより効率的です。
このような基本的な処理から、植生季節パターンの解析、異常検出、さらには機械学習を用いた複雑な関係性のモデル化へと発展させていくことができます。
研究の課題と今後の展望
衛星データを用いた炭素循環研究は大きく進展していますが、いくつかの課題も存在します。データ解像度(空間・時間)の限界、異なるセンサーデータの統合における課題、モデルとの結合に伴う不確実性などが挙げられます。
今後の展望としては、高分解能衛星データの活用による局所的な変動のより詳細な把握、SARやLiDARなどの非光学データの利用拡大による植生構造やバイオマス推定精度の向上、そして機械学習や深層学習を用いた解析手法の高度化が期待されます。また、衛星データと地上観測データ、さらには大気モデルや陸域生態系モデルを統合した研究は、炭素循環の理解をさらに深める鍵となります。
まとめ
宇宙からの地球観測データは、広域かつ継続的な陸域生態系のモニタリングを可能にし、炭素循環研究に不可欠な情報を提供します。光学、SAR、LiDAR、温室効果ガス観測など、多様な衛星データが存在し、それぞれが炭素循環の異なる側面を捉えるのに有効です。これらのデータを、植生指標モデル、土地被覆変化検出、バイオマス推定、データ同化といった手法を用いて解析することで、陸域生態系の炭素収支を評価することが可能です。
若手研究者の皆様にとって、これらの衛星データの特性を理解し、Pythonなどのツールを用いた実践的なデータ処理・解析スキルを習得することは、この分野の研究を進める上で強力な基盤となります。クラウドベースのプラットフォームや最新の解析手法に関する情報収集を継続し、自身の研究テーマに最適なデータと手法を選択していくことが重要です。