衛星データを用いた地表面温度(LST)変動研究:主要データセットと実践的解析手法
はじめに
地表面温度(Land Surface Temperature; LST)は、地表面のエネルギー収支を直接的に反映する物理量であり、気候変動研究において非常に重要な指標です。都市ヒートアイランド現象、熱波の影響、植生応答、水文プロセスなど、多岐にわたる現象の理解とモニタリングに不可欠です。衛星リモートセンシングは、広範囲かつ継続的にLSTを観測する強力な手段を提供します。しかし、衛星から得られるLSTデータは、その特性や処理方法に特有の課題も伴います。
本記事では、気候変動研究における衛星LSTデータの重要性を改めて確認し、利用可能な主要データセット、データ取得・前処理のポイント、そして時系列・空間解析といった実践的な解析手法について解説します。読者の皆さんが、自身の研究で衛星LSTデータを効果的に活用するための一助となることを目指します。
気候変動研究における衛星LSTデータの重要性
地球温暖化は、大気温度だけでなく地表面温度の上昇としても現れます。特に極端な高温イベントである熱波の頻度や強度、継続時間の変化は、LSTデータによって詳細に捉えることができます。LSTはまた、植生の光合成活動や蒸発散にも影響を与え、炭素循環や水循環の変化を理解する上でも重要です。都市域においては、LSTデータを用いてヒートアイランド現象の空間的な広がりや時間的な変化を定量的に評価し、その緩和策を検討するための基礎情報となります。
衛星観測によるLSTデータは、これらの現象を全球的または地域的に、過去から現在に至るまで継続的にモニタリングすることを可能にします。地上観測ネットワークでは得られない、空間的に密な情報を提供できる点が最大の利点です。
主要な衛星LSTデータセット
様々な衛星ミッションがLSTデータを提供していますが、気候変動研究で特に広く利用されているのは、熱赤外域に感度を持つセンサーを搭載したミッションです。代表的なものを以下に挙げます。
- Landsatシリーズ (TM, ETM+, TIRS): 中分解能(~30m)のLSTデータを提供します。特にTIRSセンサーを搭載したLandsat 8および9は、熱赤外バンドが2つあり、より精度の高いLST推定が可能になっています。都市域や詳細な景観レベルの研究に適しています。USGS EarthExplorerなどから無償で入手できます。
- MODIS (Terra/Aqua): 高い時間分解能(日中・夜間に1~2回)を持つデータを提供します。空間分解能は1kmです。日々のLST変動や季節変化、年々変動といった広域的な気候研究に適しています。NASA Earthdataなどから入手可能です。
- VIIRS (Suomi-NPP/JPSS): MODISの後継センサーの一つで、MODISと同様に高い時間分解能と1km程度の空間分解能を持ちます。データプロダクトの継続性という点で重要です。
- Sentinel-3 (SLSTR): ヨーロッパのCopernicus計画によるミッションで、MODISやVIIRSと同様に広域観測に適したセンサーです。空間分解能は約1kmで、日中・夜間に観測を行います。Copernicus Data Space Ecosystemなどから入手できます。
- ASTER (Terra): 高い空間分解能(90m)を持ちますが、観測幅が狭く、取得頻度も低いため、特定のエリアの詳細な解析に適しています。
これらのセンサーから得られるデータには、センサーの特性、軌道、観測時間帯、LST推定アルゴリズムの違いなどにより、それぞれ特徴があります。研究目的や対象とするスケールに応じて適切なデータセットを選択することが重要です。また、クラウド環境でこれらのデータを統合的に扱うことのできるGoogle Earth Engineのようなプラットフォームも、効率的なデータアクセスと処理に役立ちます。
LSTデータの取得と前処理のポイント
衛星から得られるデータから正確なLSTを推定するには、いくつかの処理ステップが必要です。多くのデータ提供機関からは、すでにLSTプロダクト(レベル2以上)が提供されていますが、その計算過程や品質情報を理解することは重要です。
1. LST推定の基本
LSTは、衛星が観測する熱赤外域の放射輝度から推定されます。基本的なステップは以下のようになります。
- 放射輝度への変換: センサーが観測したデジタル値を、センサーの校正情報を用いて放射輝度(または輝度温度)に変換します。
- 大気補正: 大気中の水蒸気やその他の成分による放射の吸収・放出の影響を取り除きます。これには気象データや大気モデルが用いられます。
- 放射率の推定: 地表面の放射率は土地被覆によって異なり、LST推定精度に大きく影響します。植生指数(NDVI)や土地被覆分類マップなどから推定されることが多いです。
- LST算出: 大気補正された放射輝度と推定された放射率を用いて、プランクの法則などに基づきLSTを算出します。
提供されているLSTプロダクトは、これらのステップを経て計算されています。プロダクトを利用する場合でも、使用されているアルゴリズムや前提条件を理解しておくことが推奨されます。
2. 品質管理とフィルタリング
衛星熱赤外観測の最大の課題の一つは「雲」です。雲の下の地表面は観測できないため、雲に覆われたピクセルのLSTは無効となります。LSTプロダクトには通常、雲の有無やその他の品質に関するフラグが含まれています。研究では、これらの品質フラグを参照し、信頼できるデータのみを選択的に使用することが不可欠です。また、積雪や冠水なども地表面の熱特性を大きく変えるため、これらの影響を受けるピクセルも除外または注意深く扱う必要があります。
3. 欠損値補間と時系列データの構築
雲などにより生じる欠損値は、時系列解析を行う上で問題となります。単純な線形補間、移動平均、スプライン補間、または機械学習を用いた補間手法など、様々な手法が用いられます。広範囲の連続的な時系列データを作成するためには、これらの補間手法を適切に適用する必要があります。
4. 異なるデータセット間の整合性
複数の衛星ミッションのLSTデータを組み合わせて利用する場合、センサー特性や推定アルゴリズムの違いによるバイアスが存在することがあります。これらのバイアスを補正し、データセット間の整合性を確保するための手法(例:回帰分析、分位点マッピングなど)を適用することが、長期的なLST変動を正確に評価するために重要となります。
LST変動の解析手法
衛星LSTデータを用いた気候変動関連の研究では、主に以下のような解析手法が用いられます。
1. 時系列解析
各ピクセルや領域平均のLST時系列データを用いて、経年的な傾向や季節性、極端なイベント(熱波など)を分析します。
-
傾向分析: 線形回帰などを用いて、LSTが時間とともにどのように変化しているかのトレンドを推定します。 ```python import numpy as np from scipy.stats import linregress
例:過去N年間の年平均LSTデータの配列 (years, lst_values)
years = np.array([2000, 2001, 2002, ..., 2020]) lst_values = np.array([25.1, 25.3, 24.9, ..., 26.5]) # 例データ
線形回帰を実行
slope, intercept, r_value, p_value, std_err = linregress(years, lst_values)
print(f"年平均LSTのトレンド: {slope:.3f} ℃/年") print(f"P値: {p_value:.3f}") # P値が有意水準より小さいか確認 ``` * 季節性分析: 季節分解(Seasonal Decomposition of Time Series)などを用いて、時系列データからトレンド、季節成分、残差成分を分離し、季節パターンの変化を分析します。 * 異常検知: 長期的な平均からの偏差や、閾値を超える期間(例:熱波日数)を特定します。
2. 空間解析
特定の時点や期間平均のLST空間パターンを分析し、地域差やホットスポットを特定します。
- 空間的傾向分析: LSTが緯度、標高、土地被覆などによってどのように変化するかを分析します。
- ホットスポット分析: Getis-Ord Gi*統計量などを用いて、統計的に有意な高温・低温の集積地域(ホットスポット/コールドスポット)を特定します。これはGISソフトウェアやPythonライブラリ(例:
pysal
)で実行できます。 - 土地被覆との関連分析: 土地被覆タイプ(森林、農地、都市域、水域など)ごとのLSTの違いや、土地被覆変化に伴うLSTの変化を分析します。これには、LSTラスターデータと土地被覆ベクターデータまたはラスターデータのオーバーレイや統計分析が必要です。
3. 他の地理空間データとの組み合わせ
LSTデータ単独ではなく、他の衛星データ(NDVI, EVIなどの植生指数、SARデータ、降水量プロダクトなど)や地上気象データ、土地利用データなどと組み合わせて解析することで、LST変動の要因や影響をより深く理解することができます。例えば、植生指数とLSTの相関を時系列で追うことで、乾燥ストレスや熱ストレスが植生に与える影響を評価できます。
実践的な応用例と今後の課題
衛星LSTデータは、以下のような気候変動研究に広く応用されています。
- 都市気候: 都市の成長に伴うヒートアイランド強度の変化、緑地や水域がLSTに与える緩和効果の評価。
- 生態系応答: 植生プロダクティビティやフェノロジーとLSTの関係性分析、乾燥地におけるLSTを用いた水ストレス評価。
- 水文学: 蒸発散推定モデルへの入力データとしての利用、内陸水域の表面温度モニタリング。
- 災害研究: 熱波による健康リスク評価、干ばつモニタリングの指標としての利用。
今後の課題としては、異なるセンサーによるLSTプロダクトの継続性確保とデータ整合性の向上、空間分解能と時間分解能のトレードオフ、雲下など欠損値が多い状況での高精度なデータ補間、そしてLST推定に伴う不確実性の定量的な評価と伝達が挙げられます。また、最新の機械学習・深層学習技術を用いたLSTダウンケーリング(粗分解能データから高分解能データを生成)や、時空間モデルによるLST変動予測なども活発に進められています。
まとめ
衛星から取得される地表面温度(LST)データは、気候変動の物理的・生態学的影響を理解するための不可欠な情報源です。多様な衛星ミッションから提供されるLSTデータを効果的に活用するためには、データセットの特性を理解し、適切な前処理と品質管理、そして時系列・空間解析といった実践的な手法を適用することが重要です。
本記事で紹介した主要データセットや解析手法が、読者の皆さんの気候変動研究における衛星LSTデータ活用の一助となれば幸いです。LSTデータの利用にあたっては、常にデータの特性と限界を意識し、品質情報を十分に確認することを推奨します。