衛星観測による土壌水分:SMAP, SMOSデータの気候変動研究への応用と解析手法
土壌水分の気候システムにおける重要性と衛星観測
土壌水分は、陸域における水・エネルギー循環や炭素循環において極めて重要な役割を果たしています。地表面と大気間の熱や水蒸気の交換、植生の成長、河川流量の生成など、多くの物理・生物プロセスに直接影響を与えます。土壌水分の変動は、干ばつや洪水といった極端気象イベントの発生・発達とも密接に関連しており、気候変動の影響を評価する上で不可欠な変数です。
しかし、土壌水分は空間的・時間的に大きな不均一性を示すため、地上観測網だけで広域を網羅的にモニタリングすることは困難です。ここで、宇宙からの地球観測、特にマイクロ波リモートセンシングがその力を発揮します。マイクロ波は植生や大気をある程度透過し、土壌の誘電率(水分量によって変化する性質)を捉えることができるため、広域の土壌水分情報を定期的に取得する上で非常に有効な手段となります。
主要な土壌水分観測衛星:SMAPとSMOS
現在、全球規模の土壌水分観測において中心的な役割を果たしているのが、NASAのSoil Moisture Active Passive (SMAP) ミッションと、ESAのSoil Moisture and Ocean Salinity (SMOS) ミッションです。
SMOS (Soil Moisture and Ocean Salinity)
- 概要: ESAによって開発され、2009年に打ち上げられた初の地球観測Lバンドパッシブマイクロ波放射計ミッションです。Lバンド (約1.4 GHz) の低い周波数は、土壌水分の観測に適しており、植生や大気の影響を受けにくい特性があります。
- 観測原理: 異なる入射角で地球から放出されるマイクロ波放射輝度を観測し、土壌水分量を推定します。二次元干渉計型放射計(MIRAS)というユニークなセンサーを搭載しています。
- データ: グリッド形式の土壌水分データなどが提供されています。空間分解能は粗いですが(約40-50 km)、毎日全球を観測しています。
SMAP (Soil Moisture Active Passive)
- 概要: NASAによって開発され、2015年に打ち上げられました。SMOSと同様にLバンドのパッシブマイクロ波放射計(L-band Radiometer, L-RAD)を搭載しています。当初はアクティブセンサー(L-band Radar, L-RADAR)も搭載されていましたが、早期に機能停止しました。
- 観測原理: パッシブ放射計の観測データを用いて土壌水分を推定します。
- データ: SMOSよりもやや高い空間分解能(約9-36 km製品など)で、ほぼ毎日全球の土壌水分データが提供されています。異なる処理レベル(L1, L2, L3, L4)の製品があり、特にL3/L4製品は利用しやすいようにグリッド化・合成されています。L4製品はモデルとのデータ同化による根域土壌水分などの情報も含まれます。
これらの衛星データは、特定の深さ(表層数cm程度)の土壌水分を観測している点に注意が必要です。
気候変動研究への応用事例
SMAPやSMOSなどの衛星土壌水分データは、気候変動研究において多岐にわたる応用が可能です。
- 干ばつ・洪水監視: 土壌水分の低下は干ばつの早期兆候となり得ます。逆に、高い土壌水分状態での豪雨は洪水の危険性を高めます。衛星データを用いることで、広域の干ばつや洪水の状況をリアルタイムまたは近リアルタイムで把握し、影響評価や予測モデルの改善に貢献できます。
- 熱波との関連: 土壌水分が低い地域では、蒸発冷却が抑制されるため、地表面温度が上昇しやすくなります。これは熱波の強度や持続時間に関連しており、衛星土壌水分データは熱波リスク評価に利用されます。
- 植生応答・炭素循環: 植生の生産性は土壌水分に大きく依存します。干ばつによる植生ストレスや、降水応答などを衛星土壌水分データとNDVIやEVIといった植生指数データを組み合わせることで分析できます。これにより、陸域生態系の炭素吸収源・放出源としての役割の変動を理解する上で役立ちます。
- 水循環モデリング: 陸面モデルや水文モデルは土壌水分状態をシミュレーションしますが、衛星観測データはこれらのモデルを検証したり、データ同化によってモデル精度を向上させたりするために利用されます。
- 気候モデル検証: 大気大循環モデル(GCMs)などの気候モデルが出力する土壌水分フィールドを、衛星観測データと比較検証することで、モデルの性能評価やバイアス特定に貢献できます。
実践的なデータ利用と解析手法
SMAPやSMOSのデータは、多くの場合、HDF5やnetCDFといった形式で提供されます。これらのデータを解析するためには、専用のソフトウェアやプログラミングスキルが必要となります。
データ取得
- SMAPデータはNASA Goddard Earth Sciences Data and Information Services Center (GES DISC) から、SMOSデータはESA Earth Onlineから主に取得できます。それぞれのデータポリシーや利用規約を確認してください。
- 近年では、Google Earth Engine (GEE) やMicrosoft Planetary Computerなどのクラウドプラットフォームでも、SMAPやSMOSを含む多くの衛星データが利用可能になっており、データ処理・解析を効率化できます。
データ解析のステップ例
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データ読み込み: HDF5やnetCDF形式のデータをPythonで読み込む場合、
netCDF4
やh5py
ライブラリが利用できます。地球科学データ解析に特化したxarray
ライブラリは、これらの形式のデータを多次元配列として扱いやすく、時空間データの操作に非常に便利です。```python import xarray as xr
例:SMAP L3 Gridded Data を読み込む
file_path = 'path/to/smap_data.HDF5' ds = xr.open_dataset(file_path, engine='netcdf4') # HDF5もnetCDF4エンジンで開けることが多い
データセットの構造を確認
print(ds)
特定の変数を取得(例: surface soil moisture)
変数名はデータ製品によって異なるため、ドキュメントを確認
try: soil_moisture = ds['sm_aperture'] # SMAP L3 Passive Global 36 km EASE-Grid Soil Moisture except KeyError: try: soil_moisture = ds['Soil_Moisture_Retrieval_Data'] # SMOS L3 Data except KeyError: print("適切な変数名が見つかりません。データ製品のドキュメントを確認してください。") soil_moisture = None
if soil_moisture is not None: print("\n土壌水分データの情報:") print(soil_moisture) ```
-
前処理: 欠損値の処理、スケール変換(スケーリングファクターやオフセットの適用)、データの品質フラグによるフィルタリングなどが必要です。特に品質フラグは、観測条件(例: 地面凍結、RFI干渉など)によってデータの信頼性を示す重要な情報源です。
```python
品質フラグに基づいてデータをフィルタリングする例(SMAP L3)
品質フラグ変数は 'soil_moisture_quality_flag' など、データ製品による
quality_flag = ds['soil_moisture_quality_flag']
例: 品質フラグが0 (良好) のデータのみを選択
具体的なフラグの意味はデータ製品のドキュメントを参照
good_quality_mask = (quality_flag == 0)
if soil_moisture is not None: filtered_soil_moisture = soil_moisture.where(good_quality_mask) print("\n品質フィルタリング後のデータ情報:") print(filtered_soil_moisture) ```
-
時系列解析: 特定の地点や領域平均における土壌水分の時間変化を分析します。トレンド分析、季節変動の抽出、異常値の検出などを行います。
pandas
ライブラリは時系列データの扱いに有用です。xarray
と連携して利用することも多いです。```python
特定の座標における時系列データの抽出例
grid point_longitude, grid_point_latitude はデータ製品の座標変数名
if soil_moisture is not None and 'grid_point_longitude' in ds and 'grid_point_latitude' in ds: lat_target, lon_target = 35.6895, 139.6917 # 例: 東京駅付近 # 最も近いグリッドポイントを検索 method = 'nearest' # または 'linear' で補間 try: ts_point = soil_moisture.sel( latitude=lat_target, longitude=lon_target, method=method ) print(f"\n地点 ({lat_target}, {lon_target}) の時系列データ:") print(ts_point)
# 時系列プロットの例 import matplotlib.pyplot as plt ts_point.plot() plt.title(f'Soil Moisture Time Series at ({lat_target}, {lon_target})') plt.xlabel('Time') plt.ylabel('Soil Moisture') plt.grid(True) plt.show() except Exception as e: print(f"地点データの抽出またはプロットに失敗しました: {e}")
```
-
空間解析: GISソフトウェア(QGIS, ArcGISなど)や
geopandas
,rasterio
,salem
といったPythonライブラリを用いて、土壌水分の空間パターン分析、特定地域における平均値や変動の計算、他の地理空間データ(植生域、土地利用など)との重ね合わせを行います。
データ利用上の注意点
- 空間分解能とスケール: SMAPやSMOSの空間分解能は数十キロメートル程度であり、これは多くの水文・生態系プロセスが起こるスケールよりも粗いです。局所的な現象を詳細に捉えるには限界があるため、他の高分解能データ(例: 光学・SARデータ由来の植生、土地利用など)との統合や、スケールアップ/ダウン手法の検討が必要となる場合があります。
- 観測深度: マイクロ波で捉えられる土壌水分は、通常、地表面から数センチメートル程度(おおよそ0-5 cm)です。根域土壌水分など、より深い層の情報を得たい場合は、衛星表層土壌水分データをモデルに同化させた製品(例: SMAP L4)や、他の観測データ(例: 地下水)と組み合わせる必要があります。
- 不確実性: 衛星土壌水分データには、観測ノイズ、植生や地形、ラジオ周波数干渉(RFI)などの影響による不確実性が含まれます。提供される不確実性情報(エラー推定値など)を適切に利用し、研究結果の信頼性を評価することが重要です。
まとめ
SMAPやSMOSといった衛星ミッションは、全球規模で土壌水分の変動を継続的にモニタリングする上で不可欠なツールです。これらのデータは、干ばつ・洪水監視、熱波研究、陸域生態系の応答評価、水循環・気候モデルの検証・改善など、気候変動研究における幅広い応用可能性を秘めています。
データ形式の理解や品質フラグの適切な利用、そしてxarray
やpandas
といったPythonライブラリを用いた効率的な処理・解析手法を習得することは、これらの衛星データを自身の研究に効果的に活用するために不可欠です。データが持つ空間分解能や観測深度の限界、そして不確実性を理解した上で、他のデータソースやモデルと組み合わせることで、土壌水分変動と気候変動に関するより深い知見を得ることが期待できます。ぜひ、これらの衛星データに触れ、ご自身の研究テーマに応用してみてください。